大人の時間割

日々是好日

新鮮なものを野菜中心に食べる

 加工品を食べることはあまりおすすめできない。加工品は塩分が多いし、栄養価も減衰していることがあるからだ。そのため、普段食べるものはできるだけ新鮮な野菜、果物、魚類を食べることをおすすめする。そのためにはスーパーではできるだけ生鮮品売り場を回るようにする。

 自炊は面倒だと思うかもしれないが、生野菜は切るだけで食べられるし、硬い野菜もスチーマーを使ってやわらかくすれば食べられる。刺し身はそのまま食べられるし、大抵の魚は焼けば食べられる。素朴な味付けが一番手間もかからないし、生活習慣病を防げると思う。

意思の疎通

コミュニケーション力とは意思疎通の力だ。話が伝わらない、もしくは食い違いというのは相手に伝えたいことが伝わらない事である。これの解決は言語を正しく操るということと、言いたい事の情報を出し惜しみしないことである。言語を正しく扱わないと、言いたい事が正しく伝わらず、誤解を招く。また、言いたい事を全て言っておかないと、そこに情報の欠落が生じ、これまたコミュニケーションの障害が生じる。コミュニケーション力とは、すなわち国語力そのものだが、これを学ぶ機会は実はない。学校で学ぶ国語力はコミュニケーション力とは似て非なるものであり、現代の国語教育はその部分が欠落しているように思う。

本当に必要なことか考える

 ミニマリストの第一歩としては、当たり前を疑って見ることだと思う。つまり、普段当たり前にやっていることを本当にやる必要があるか、持つ必要があるのか再定義することだ。

 例えば、髪は本当にシャンプーで洗う必要が有るのか?、飲み会の二次会は本当に行く必要が有るのか?、その料理器具は必要なのか?、代替できるものはないか?とか当たり前にやっていることを疑う必要がある。

 それらは一回、やめてみると必要がなかったり、あるいは回数を減らしてみてもよい、と思う事がある。そして実際に辞めてみるとミニマリストの第一歩となるのだ。

意思力について

 最近運動不足だ。活動量計を使っているが、一日に4,000歩程度しか歩かないこともある。これではダメだ、と思い運動を習慣化する方法論を考えた。

 一番、効果的だと思ったのが、早朝に散歩をすることだ。朝は1日の中で、一番意思力が満ち溢れている。そのため、やらなければいけないことは1日の最初に持ってくる方が良い。また、日光を浴びることで体内時計がリセットできるのもおすすめできる理由である。

 次に重要なのが、運動を細切れでなく、早朝にほぼ終わらせることだ。例えば1日の歩行量を8,000歩に設定していた場合、7,000歩くらいは朝終わらせた方がいい。残りの1,000歩は日常生活で消費できるだろうし、仮に消費できなくても7,000歩ほど歩いていたら後はだらだらしてもいいという余裕も生まれる。重要な事は、やらなければいけないことの大半を朝のうちに済ませてしまうことだ。そうすると昼間以降、ノルマに苦しめられなくて済むことだ。これも意思力が豊富な朝のうちにやってしまう方が良い。意思力は車のタイヤと一緒で一日のうちにどんどんすり減っていくものだと思う。そのため、短期的な意思力は糖分等で回復できるかもしれないが、基本的には目減りするものなので、重要な事は朝やるべきだ。(当たり前の結論だが。)

未来予測と問題解決と深い思考

 理系の素養が必要だと最近、アメリカでは言われている。いわゆるSTEMブームである。STEMを学ぶメリットはいくつかある。一つは理系の素養ができることで、物事を順序立てて考えたり、様々な角度からみる思考が身につくことだ。これは言い換えれば問題解決思考や損得等合理的思考が身につくことを意味する。また、理系の素養があると技術的な事も理解しやすくなる。そうすると新しいことを自分で生み出したり出来る。加えて技術を理解しておくと、未来も予測しやすくなる。技術がもたらす未来をイメージできるからだ。

 それ以外にも最近、日本では教養がブームだ。教養とは一言では言い表すのが難しいが、個人的には広い意味での「学問」だ。色々な知識がある人は教養があると、ある意味では言える。教養があると、物事に対する洞察が深くなる。例えば、万里の長城を見てへ~と思うだけの人と、万里の長城は北方民族の侵入を防ぐためのものだった、という知識を持つ人とでは建築物の見方も違ってくるだろう。よく考えが浅い、と言われる人がいるが、そういう人は教養があると深くなると思う。また、常識を鵜呑みにしがちな人は、日頃から常識を疑う素養を養った方がいい。それには、哲学がぴったりだ。哲学はプラトンニーチェ等の古典哲学でもいいし、サンデル等の現代の哲学を学ぶのでもいい。大事なのは哲学者がどういう論理展開で思考を展開しているのか、ということと、物事を疑って考える、あるいは物事の本質をどのように捉えるかという、思考のプロセスを学ぶことだ。哲学を学んでいるとそれがしやすくなるように思う。また、書くことも思考を深める上では効果的だと思う。書くことは、脳のワーキングメモリを解放するので、それだけ自分の思考を客観的に見やすくなる。頭の中でぐるぐると考える事が多い人は定期的に文章で吐き出したほうが物事を客観的に見れるので、その分深い洞察が得られるだろう。

 但し、今の日本はこれとは逆の流れである。現役世代で月に1回でも読書をする人の割合はかなり低くなっているし、そもそもスマホSNS、動画配信などの娯楽が増えているためか長い文章を読む人自体が減っている。そのため、上記の事が少しでも出来る人はそれだけで、周りと差別化できていることにつながると思う。

金融は手数料に注意

 投資でよく見逃しがちなことだが、手数料の高さだ。最近は証券会社等もサイトやアプリを充実させてきており、インターフェースもかなりわかりやすいものになってきている。

 ただし、手数料については以外とわかりにくいことも多い。例えば、手数料をはっきりと表示しなかったり、資金の入金は無料だが、出金は手数料がかかったりすることがある。その場合は、確実に手数料の分、投資のパフォーマンスは下がるので気をつけたい。

 また、投資では証券口座に入金する振込料も馬鹿にならない。ネット銀行によっては、月何回までは無料、という形で手数料無料の上限額が決まっている。そのため、うっかり分割して証券口座に入金してしまうと、思いもがけない出費が相次ぐ。

 このように、金融サービスは利ざやの他にも色々な事を代行することで、顧客からお金を巻き上げる仕組みができている。投資については、単純に価格に一気一憂するのでなく、こういった手数料にも目を向けておくべきだと思う。

地産地消は経済的

 地産地消はある意味で経済的だ。その地域でできたものを消費するわけだから、当然のことながら、余計な輸送費はかからない。

 自分が住んでいる地域では、道端に野菜が置いてあって、貯金箱みたいなものにお金を入れる、いわゆる無人の売り場がある。これは究極の地産地消だといえるが、別にスーパーで地元の野菜を買うのも一緒だ。

 遠く離れた南米エクアドルで生産されたブロッコリーを買うより、はるかに経済的だ。たしかに人件費を考慮すると、海外で大量に生産された野菜を買うのはある意味で安いのかもしれない。しかし、それを実現するには、余計な手間暇をかけているのも事実だ。例えば、長距離の輸送をするために、鮮度保持の添加物が使われているかもしれない。その点、地元でとれた野菜は、人件費こそかかるかもしれないが、余計な輸送費や、広告やパッケージにお金を払っていない。つまり、同じ価格だとしてもそのモノの原価率が高いことが多い。

 目に見えないコストを我々は払っているかもしれない、ということを常に意識すべきだと思う。