大人の時間割

日々是好日

必要な教養

 大人になって気づいたことがある。それは学校で真面目にやった勉強、あるいは大学受験等の科目等、無条件に学習してきた中のいくつかは、社会にでて役に立つものとそうでないものに分かれるということだ。

 ぶっちゃけ、古文とか漢文は大多数の人が社会に出て役に立つことはない。また、意外に理科や算数は直接役に立つわけではないが、モノの見方や問題解決能力を養うという意味では役に立つ。そういう当たり前の事実を大人はもっと教えていくべきだと思う。

 頭ごなしに勉強しろというよりは、実際社会にはこういう職業があり、求められる能力はこういうものが必要だということは学校でも教えるべきだ。もちろんあらゆる職業について説明することは難しいだろう。ただ、コアとなる部分、つまり読み書きソロバンはどこの業界でも役に立つ。そういう意味ではコアの部分の知識の重要性とそうでない部分はわけるなりして、重要性が低い科目は子供が取捨選択できる仕組みが必要でないかと思う。